未だ遠いフロントエンド

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金曜が最終出社だった。 社内wikiにお別れの言葉を書いていたら、とうに日の出の時間を過ぎてしまっていた。

午前五時の烏丸通りは生暖く、鳥類の他にはタクシーと、夏でも冬でもない湿度だけが道路を満たしていた。 日付が変わったからといって、この身体の所有者が変わるでもなく、両足にこれまで通りの命令を送り、ゆっくりと歩道を歩く。 去年左京区に引っ越すまで毎日通った道。 京都に来た頃はどんな思いで歩いたのだっけ、思い出せないけど、烏丸御池交差点の空は確かに、初めて訪れた時から変わらない広さと速度で、人々を循環させていた。

インターン最終日の朝、ここから京都駅まで歩いたことを思い出す。 伊勢丹の階段を登って朝日を浴び、知らない街の景色を見下ろした瞬間に、自分の世界が広がったように感じたのを覚えている。

あれから5年。 京都の街はどう変わったんだろう。 僕がこれから進む道は、新しい世界を見せてくれるんだろうか。

こんど京都駅に行ったら、またあの階段を登ってみよう。


5月一杯で株式会社はてなを退職し、1-10drive, Inc. へ転職します。

次の会社は、インスタレーションを制作したり、ハードウェア製品のプロトタイプを開発したりする会社。 僕が何をやるかはまだ決まっていないけど、案件ごとに違う技術を使うことになると思う。

つまり、「Webエンジニア」という肩書ではなくなる。

僕は学生時代からずっと、Webフロントエンドエンジニアを自任していた。 はてなにはフロントエンドエンジニアという役職は無かったけど、社内でフロントエンド会を作ったりしていた。

Webフロントエンドの発展は止まらない。 Extensible Webの旗のもとに、Web技術とフロントエンドの可能性は広がり続けている。 一方で、社会人になって3年、自分の技術にどこか停滞感のようなものを感じていた。

関西のWeb系勉強会に参加すると、東京と比べて、いわゆる「Web屋」が多いように思う。 これまで自分が接してきたフロントエンドエンジニアとは違う「フロントエンド」像があった。 そして、僕の世界と、Web屋や元FLASHerが切り開いてきた世界との間に、大きな断絶があるように見えた。

去年の春、東京出張のついでに行ったライブで、GLSL/ライブコーディングの世界に引き込まれてしまった。 その過程で、WebGLやクリエイティブコーディング界隈の人々と交流するうち、自分の知らない技術の世界があると知った。

もう一つのフロントエンドの世界を見てみたい。 まだ知らない技術を、可能性を手に入れて、いつかWebの世界を広げていきたい。

そう思って、行動することにした。


はてなには、2013年のインターンに参加してから、5年間お世話になった。
当時の僕は何も作れない学生で、運良く拾ってもらったという感覚が強い。

それまでただ利用するだけだったインターネットの世界が、目の前で作られるのを見た。

プログラミングを始めた頃は、作りたいものを考えるのが苦手だった。
けれど、最近は作りたい物もやりたい事も、どんどん増えている。

僕が今自分の意志で、コードを書いたり、技術を学びたいと思えるのは、はてなの優秀で面白い人々に囲まれて、作ることの楽しさを学んだお陰だと思う。

はてなで働けてよかった。
3年間、ありがとうございました。


頼りない胸は痛む 置いてきた手紙もある だけど静かなマジックアワー
Special Favorite Music - Magic Hour




引き続き京都にいるので、これからもよろしく。 ウィッシュリスト