聖性の窓

最近暇な時にResolumeやライブ演出系の解説動画をよく見ているのだけど、頻繁にインドやバングラデシュなどのVJの動画がヒットすることがある。 その中で、サンプルの動画素材としてヒンドゥー教の神々をフィーチャーした物が用いられる、ということを複数回経験した。

また、僕は最近cmf Watch Proというスマートウォッチを使っているのだけど、ウォッチフェイスのカスタマイズ方法を調べた際にも、サンプル画像としてサンスクリット文字(Om: ॐ)やヴィシュヌ神の画像が用いられていた。

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このことから分かるのは、精々ある文化圏の人々にとって宗教的モチーフは身近なものである、くらいの事なんだけど、僕はそれよりも、スマートウォッチやクラブのLEDスクリーンが霊的なモチーフから力を得るためのポータルとして作用しているということに興味を惹かれてしまった。

我々が映像を作る際、単純に「良い」ビジュアルを求めるのは、映像そのものが「対象」になっている状況である。 SNSで映えるVJクリップやGIF動画などはこれに当てはまる。 Demosceneなど、画面に写っているピクセルの配列よりも背景にある技術がメインなので少し事情が異なるが、希求されるものはスクリーンに出力される絵それ自体なので、ある意味最も自己目的的になっている、ピュアな形態と考えられる。

観客 → (screen) → 映像

クラブでのVJ、ライブ演出などにおいては、映像それ自体は対象ではなくなる。 あくまでアーティストを支えるための要素となり、映像の「良さ」はスクリーンを通して演者に付与される。

観客 → 演者 ← (screen) ← 映像

一般的に「VJ」といって思い浮かべるのはこのケースだと思う。 照明などと連携して演者を引き立たせるためのVJを「照明的なVJ」と呼ぶことがあるけど、この場合はVJが意識的にこの役割に特化した状況といえる。

それに対して、スクリーンが霊的なポータルとなっている場合、会場にある物は何一つではなくなる。 DJやアイドルはしばしば巫女や霊媒師に喩えられるが、この場合はライブ会場に霊を降ろすのではなく、あくまでその向こうに聖性があるのであって、観客はその威光を浴びに来ているのだ。

観客 ← (演者) ← (screen) ← (映像) ← 力

VRクラブにおけるVJはどうなる?現代のVRシーンでは、観客は場そのものに力を見出している事が多いのではないかと思うが、どうだろう?)

観客 → (VRゴーグル) → "VR" ← 演者 ← (screen) ← 映像