生産性への強迫観念を振り払う儀式としての、子育て

同年代の方がブログに書かれていたことについて、自分の思うところを書いてみる。

starhoshi.hatenablog.com


  • 育児のしんどさ
    • 勉強時間が取れなくなる
    • ふとSNSを見ると、同年代の独身者や若者がバリバリ成果をあげている
    • 自分の市場価値がみるみる下がっていくのを、ただ見ることしかできない恐怖感

  • 俺たちは勉強をしないと死ぬのか
    • プログラマー35歳定年説
    • デーブカトラーのような「闘うプログラマー」にならないと生き残れないのか?
    • 過剰な努力と家族の犠牲を払わないと存続できないコミュニティは、すでに死んでいるのではないか
    • ソフトウェア産業は、激烈なプログラマー以外も受け入れられる程度には成熟している、という意見もある (ref)
      • 僕もそう信じているが、保証はどこにもないので、恐怖心をなくすことは難しい

  • 我々は何に苦しめられているのか?
    • 市場価値が落ちていく恐怖
    • 一方で、これから数十年、子供を養っていかないといけない
    • 子育てによって自分の市場価値が落ちていくが、子育てには自分の市場価値が必要である、という矛盾

  • しかし、すでに我々はこの生き方を選択し、決断し、実行している
    • あとはできることをやっていくしかない

  • 新生児特有のしんどさとして「寝かしつけ」がある
    • 子供の機嫌をとるだけの、何もできない、無為な時間
    • 寝かしつけを有意義に過ごす方法として、PodcastやAudibleなどを聴く時間に充てるといった手法が広く知られている
      • 読みたい本があるとは限らないし、寝落ちしてしまったり、限界がある

  • 寝かしつけをしながら、このしんどさについて考えていると、自分が競争原理に支配されすぎていることに気づく
    • 子供との時間を「無為な時間」と値付けしてしまう事のおかしさ
    • 俺は、子供にもこんな生産性への強迫観念を植え付けようとしているのか?
      • そんなのは嫌だ

無為な時間も捨てたもんじゃない 適度に頑張って生きていきましょう